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森尾和貴の今現在は?プロフィール(wiki)や当時の写真や動画

こんばんは!おだまきです!

「消えた天才」で甲子園史上最高の成績の残した天才ピッチャーとして、西日本短期大学附属で1992年の甲子園を制した森尾和貴さんが特集されました。

甲子園史上最高の投手とまで言われていた森尾和貴さんの今現在やプロフィール、当時の写真や動画をまとめました!

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森尾和貴のプロフィール

名前:森尾和貴(もりおかずたか)

生年月日:1974年7月18日

出身:福岡県 八女市

ポジション:投手(右投右打)

森尾和貴の当時の活躍

森尾和貴さんは、西日本短大付のエースとして1992年の夏の大会で5試合で4完封し優勝。失点1、防御率0.20という歴史に残る快投を演じました。

この快挙にもちろんプロの方やスカウトの方にも注目されていました。

同じ高校の先輩であった新庄剛志さん(元・北海道日本ハムなど)も「松井君の5打席連続敬遠も衝撃でしたけど、それくらいすごいピッチャー。何でプロに行かなかったんだろう?」と発言しています。

森尾和貴さんは、もともとプロ野球選手になるのは夢であり、福岡ダイエーや読売巨人軍(当時長嶋茂雄監督)から誘いを頂いていました。

しかし「(甲子園は)自分の実力以上のものを出せてた期間。優勝という結果は残せたんですけど自分自身の実力を継続する自信がなかった」として、高校卒業後は社会人野球の道に進みました。

当時の森尾和貴さんの実力があればプロになる夢も現実的なものだったのかもしれません…。


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森尾和貴の現在

高校卒業後、森尾和貴さんは新日本製鉄に入社。社会人野球の名門八幡野球部で活躍していました。

1998年にひじを故障し手術を行っています。2003年に八幡野球部が廃部になったことで退部しています。

現在は45歳になり、新日本製鉄の従業員として働いています。

「プロの世界を経験したかったというのはある」という思いを持ちながらも、

「日本でここまで練習しているのは僕以外にいないだろうというくらいまでやったので、あの時こうやっておけばよかったとか、あとで考えても全くそういうふうに思わない。本当に悔いはない」と語っています。

すごい実力を持っていたため、もったいないという感じてしまいますが、森尾さん自身が悔いはないと語っているのできっとこれで良かったのでしょう。

森尾和貴の当時の写真や動画

森尾和貴さんの当時の写真や動画をまとめてみました。

まとめ

森尾和貴さんについて今現在についてや過去の写真や動画についてまとめてみました。

本当に素晴らしいピッチングをする森尾和貴さんでしたが、プロの道には進まず社会人としての道を歩まれました。

本人には後悔は全くないということでしたので良かったです。

甲子園史上最高の選手として今後も語り継がれていくと思われます!

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